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ご利益いっぱいの京都(都)七福神巡り.2009年正月京都(都)七福神巡りをしました。


京都(都)7福神巡り (2018年 6月 22日 作成) JUGEMテーマ:お知らせ



 

2009年正月に観光バスで京都(都)七福神巡りをしました。


毎年一月いっぱいバス会社が運行します。


近年でも変わらず、毎年一月いっぱいバス会社が運行してます。

前年リ―マンショックが起き経済がひどく混乱低迷しました。


それが動機になりました。

出発は大阪東北部からです。京阪電車で朝8時ころ出かけました。


乗車したのは京橋でした。

一時間ほどで京阪三条駅に着き、近くのバス案内所に行きチケットを買いました。


8800円ほどでした。9時―10時に20分おきにバスが運行されています。

バスは4列シートの簡易型観光バスで、席はほぼ満席で、


大阪からの年配のおばさんも若い女性も多数同乗していました。



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万福寺_布袋様題.jpg



● 黄檗(おうばく)山 萬福寺 布袋尊 ●  


● コース 行程 ( コース 行程 NO1 )参照

京阪3条駅はJR京都駅から北東1㎞ほどの位置です。まずJRの線路を突き抜けて


国道一号沿いに南下して宇治市に向かいます。

バスの中では、バスガイドさんがおり旅のガイドがついてます。


これは、乗用車で回るよりすごい楽しめる利点です。



*** 以下はガイドの内容です。 ***

京都盆地は周囲の山に降った雨、雪が地下に流れ込み、地下水脈が豊富です。


京都市南部は湿地帯で大きな沼がありました。戦後次第に埋め立てが進み、


沼はほとんどなくなり、その名残が伏見の酒蔵で、豊富な水を利用したものです。


黄桜酒造などが道路わきに見えました。



    ( 万福寺 布袋尊 )

万福寺題.jpg



*** 以下は黄檗(おうばく)山 萬福寺の説明です。 ***



萬福寺は、京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院です。


山号は黄檗山、開山は隠元隆琦、本尊は釈迦如来です。


日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した、


黄檗宗の中心寺院で、中国・明出身の僧隠元を開山に要請して建てられました。

徳川四代将軍家綱が、隠元禅師に開かせたというお寺は、


中国的な雰囲気を今に伝えていました。

かなり広い境内で、中国風の山門、建築様式も残っています。

茶店、土産物屋もあります。予約すれば、中国の精進料理・普茶料理を


味わうこともできます。( 出典 : ウィキペディア )



** 黄檗(おうばく)山 萬福寺 布袋尊 **

【萬福寺】


宇治市五ヶ庄三番割


0774-32-3900


http://www.obakusan.or.jp/



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● 東寺(教王護国寺)毘沙門天 ●  


● コース 行程 ( コース 行程 NO1 )参照



万福寺から同じ道を北上します。JR京都駅の南西約1㎞に東寺があります。

東寺の広い境内の中、 毘沙門様が安置するお堂が毘沙門堂です。

毘沙門堂は兜跋毘沙門天像(国宝)を安置するために建てられた堂です。



     ( 東寺(教王護国寺) )

東寺9.JPG


www8.plala.or.jp/bosatsu/nara-kyoto/touji/touji.htm




      ( 毘沙門天 )

毘沙門天_東寺00題.jpg


www.toji.or.jp/houmotsukan.shtml



       ( 毘沙門堂 )

毘沙門堂5.JPG


www8.plala.or.jp/bosatsu/nara-kyoto/touji/touji-bishamondo.htm



東寺(教王護国寺)の毘沙門堂は、兜跋毘沙門天像(国宝)を安置するために建てられた堂です。

兜跋毘沙門天像は、弘法大師が中国・唐で手に入れたもので、


939年(天慶2年)の平将門の乱の際に都の守護神として羅城門の上層に安置されたが、


978年(天元元年)の台風で羅城門が倒壊した後、東寺に移されました。

その後、食堂に安置されたりしていたが、1822年(文政5年)に毘沙門堂が建てられた


(※現在は宝物館に安置されている。)(www.toji.or.jp/houmotsukan.shtml)



学業成就、安産の神として信仰を集めています。  




【東寺】


京都市南区九条町1


075-691-3325


http://www.toji.or.jp/



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● 六波羅蜜寺 弁財天 ●  


● コース 行程 ( コース 行程 NO2 )参照



コース 地図 NO2題.jpg



東寺から河原町通りに出て、清水寺のすぐ西側を北上すると六波羅蜜寺( 弁財天 )があります。


道に面したお寺です。途中ガイドで当時京都の町で話題になっていたこと一澤帆布


(昔から帆布のランドセルを製造販売詞した会社)のお家騒動のことがありました。


道すがら清水焼の工房なども見れます。清水焼の製品も見れました。



( 六波羅蜜寺 )

六波羅蜜寺題.jpg

www.rokuhara.or.jp/



  ( 弁財天 )

六波羅蜜寺弁財天題.jpg

www.rokuhara.or.jp/



弁財天は南門のそばの護摩堂に、まつられています。

弁財天は、崇徳天皇が受けたお告げによって、


禅海上人が造ったものです。

奥まった場所に安置された高さ70㎝ほどの、金色の像です。




六波羅蜜寺は、天暦5年(951)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創されました。


西国第17番の札所です。

当時京都に流行した悪疫退治のため、空也上人自ら十一面観音像を刻み、


御仏を車に安置して市中を曵き回り、青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て


、中へ小梅干と結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け


、歓喜踊躍しつつ念仏を唱えてついに病魔を鎮められたといいます。


(現在も皇服茶として伝わり、正月三日間授与しています)

空也上人は第60代醍醐天皇の皇子で、若くして五畿七道を巡り苦修練行、


尾張国分寺で出家し、空也と称します。


再び諸国を遍歴し、名山を訪ね、錬行を重ねると共に一切経をひもとき、教義の奥義を極めました。


天暦2年(948)叡山座主延勝より大乗戒を授かり光勝の称号を受けました。


森羅万象に生命を感じ、ただ南無阿弥陀仏を称え、今日ある事を喜び、歓喜躍踊しつつ念仏を唱えました。


上人は常に市民の中にあって伝道に励んだので、人々は親しみを込めて「市の聖」と呼び慣わしました。

(rokuhara.or.jp/history/)(六波羅蜜寺社史から)




【六波羅蜜寺】


東山区松原通大和大路東入る


075-561-6980


http://www.rokuhara.or.jp/




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● ゑびす神社 恵比寿天 ●  


● コース 行程 ( コース 行程 NO2 )参照



六波羅蜜寺から北に歩いていきます。ゑびす神社( 恵比寿天 )があります。

西宮、大阪今宮神社と並んで、


日本三大ゑびすの1つで、都七福神めぐりでは、


ただ1つの神社です。

言わずと知れた、商売繁盛の神様で、


お正月の「十日戎」は、毎年すごい人出です。

ここは、鎌倉時代初期の建仁2年(1202)に栄西禅師が建仁寺を建立するに当たり、


鎮守杜として創建されたと伝えられています。



    ( ゑびす神社 )

ゑびす神社 恵比寿天題.jpg


blogs.yahoo.co.jp/yamaibaaosainaikyo/65223645.html



現在では、西宮と大阪にある今宮神社と並び日本三大ゑびすの一つとされ、


「えべっさん」の名で「商売繁盛」の守り神として親しまれています。

境内は1月の「十日ゑびす」と10月の「二十日ゑびす」の時には大勢の参詣客でにぎわいますが、


普段は静かな境内で、のんびり散策できます。

また珍しいものに名刺塚と財布塚があります。


境内に入って右手奥にあります。



    ( 名刺塚 と 財布塚 )

財布塚_名刺塚2.jpg


blogs.yahoo.co.jp/yamaibaaosainaikyo/65223645.html




鳥居の上の二の鳥居の福箕 恵比寿像は、額めがけて


お賽銭を入れるようになっています。

   ( 二の鳥居の福箕 ) 

鳥居の上にある00.jpg


blogs.yahoo.co.jp/yamaibaaosainaikyo/65223645.html



【ゑびす神社】


東山区大和大路通四条下る


075-525-0005


http://www.kyoto-ebisu.jp/



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● 赤山禅院(せきさんぜんいん)福録寿 ●  


● コース 行程 ( コース 行程 NO2 )参照



バスは清水寺の方に止めてあります。六波羅蜜寺、恵比寿神社は


徒歩で巡ります。途中は民家、学校などの脇を通ります。


バスに乗り恵比寿神社を出て北東の方向に走ります。

この辺り北白川はラーメンの店が多くラーメン激戦区だとガイドがありました。

東が修学院離宮の方角ですが、もう少し北上して、


山間から流れる下る川、田んぼ中を歩いて赤山禅院に向かいます。

京都御所から見ると、鬼門(東北)の


方角にあたるため、方除けの神様として、


昔から信仰を集めていたお寺です。



  ( 福禄寿殿 )


福禄寿_石さん全委員.jpg

  

  ( 福禄寿 )

1福禄寿_赤山禅院題.jpg




福禄寿の像は、本堂の東側にある


福禄寿殿にまつられています。



【赤山禅院】


左京区修学院赤山町


075-701-5181


http://www.sekizanzenin.com/



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● 松ヶ崎大黒天(妙円寺) 大黒天 ●


● コース 行程 ( コース 行程 NO2 )参照



赤山禅院から、西に向かう途中に一乗寺の地域を通ります。


バスガイドさんの説明ですと、一乗寺下り松の脇を通ります。



一乗寺下り松(いちじょうじ さがりまつ)とは、京都市左京区一乗寺花ノ木町にある松の木、


またはその場所を示す名称です。曼殊院道と狸谷不動明王道が分岐する場所にあります。


平安時代の昔から、近江から京に通じる交通の要衝にあり


、旅人の目印として植え継がれてきた松で、現在の松は4代目です。


平安時代中期から南北朝時代頃までこの地にあった一乗寺にちなんで名付けられている。


江戸時代初期、宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘を行った伝説でも有名です。

( 出典 https://ja.wikipedia.org/wiki/ )



8月の五山の送り火のときには、妙法の


法の字が点火される、松ヶ崎の東山の


ふもとにあるお寺です。



妙円寺_大黒天題.jpg

matugasaki-daikokuten.net/



松ヶ崎大黒天.jpg

matugasaki-daikokuten.net/




本堂の入り口に、米俵に乗った大黒さんが


座っておられます。




本堂の奥には、大黒天の像があるのですが


ふだんは見ることができません。

2か月に1度のある、甲子(きのえね)祭で、


ご開帳となるそうです。

「妙法」の送り火で知られる松ヶ崎東山「法」の下にあります。


1616年(元和2)日英上人が創建の際、法華経の守護神として別棟にまつったのが大黒さんです。


「松ヶ崎の大黒さん」として全国より参拝あります。日蓮宗。


1969年(昭和44)の火事で無事だったので、「火中出現の大黒天」とも呼ばれます。


60日に1回の甲子(きのえね)の日にご開帳。諸願成就・寿福円満の御祈祷が執行されます。


都七福神の一つです。


建立:1616(元和2)年3月15日

出典 kanko.city.kyoto.lg.jp/detail.php?InforKindCode=1&ManageCode=1000222)




【松ヶ崎大黒天(妙円寺)】


左京区松ヶ崎東町31


075-781-5067


http://matugasaki-daikokuten.net/



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● 行願寺革堂(こうどう)寿老人 ●  


● コース 行程 ( コース 行程 NO2 )参照



松ヶ崎から南下して御所のすぐ南に来ます。バスは御所の南に止め


西にしばらく歩くと7番目の福神、行願寺革堂があります。




寿老人像は、入って左手にある寿老人神堂に、まつられています。

寿老人神堂の脇には、石で作られた七福神像もあり、7福神が全部並んでいます。


ぜひ見るとよいでしょう。



  ( 行願寺革堂 )

行願寺革堂es.jpg

kyoto.wakasa.jp/detail/25/966/)



  ( 寿老人 )

寿老人s.jpg

kyoto.wakasa.jp/detail/25/966/)



  ( 石作り 7福神 )

革堂_行願寺_7福神.jpg

kyoto.wakasa.jp/detail/25/966/)




■行願寺(ぎょうがんじ) 


寺町通丸太町を少し南に行くと、「行願寺(革堂)」があります。


都七福神めぐりの長寿・福徳を授ける「寿老人」をおまつりするとともに、


西国三十三所観音霊場札所でもあることから、年間を通して多くの方が訪れます。


またこちらには、ある女性にまつわる悲しい絵馬が奉納されています。


今回は、行願寺について紹介します。

■行願寺創建の祖「行円上人」


行願寺は、別名「革堂(こうどう)」とも呼ばれています。


行願寺を創建した行円上人は、仏門に入る前は狩猟を業としていました。

ある時、山中で雌鹿を射止めたところ、その傷口から小鹿が誕生しました。

鹿は血まみれの小鹿の体を舐め愛おしんでいましたが、そのうち力尽きて死んでしまいました。

その様子を見ていた行円上人は今までの殺生を悔い、仏門に入りました。

行円上人は、死んだ雌鹿の革(皮)を常に身につけていたことから、

「皮聖」「皮聖人」と呼ばれ、そのことから行願寺を「革堂」と呼ぶようになったそうです。

行円上人が肌身離さずつけていたとされる雌鹿の革衣は、現在も行願寺の「宝物館」で大切に保管されています。

■幽霊絵馬


革衣が安置されている宝物館には、「幽霊絵馬」も所蔵されています。


幽霊絵馬には、子どもを背負った若い女性が今にも絵から飛び出そうとするほどの技法で描かれているのだとか。

そして、この絵馬にはある悲話が残されています。


その昔(1816年)、熱心な法華信者の八左衛門がおり、その家に「ふみ」という若い娘が奉公人として働いていました。

ふみは家の近くの革堂に八左衛門の子どもをよく連れて出かけ、子守りをしていました。

そして、自然とお堂から聞こえてくる御詠歌を覚えました。

ある時、ふみが御詠歌を子どもに教えているのを見た八左衛門は、怒りに狂い、彼女を殺してしまいました。

そして、家の庭に埋め、彼女の両親には男と失踪したと嘘をつきました。

その話に納得できない両親は、革堂の千手観音像に娘の無事を祈ります。

すると、ふみの亡霊が現れ、「主人に殺され庭に埋められています、鏡を一緒に埋めてください」と告げました。

鏡は奉公に行く際に母親からもらった大切な手鏡のことです。

事実を知った両親は娘を不憫に思い、ふみの子守りをしている姿を絵馬に描き、手鏡と一緒に奉納しました。

この手鏡は絵馬の裏側にあり、まるで悲話を語り継いでいるかのようです。

8月22日~24日の3日間に行われる幽霊絵馬供養の際には絵馬を拝観することができます。

(出典 kyoto.wakasa.jp/detail/25/966/)




【行願寺革堂】


中京区寺町通竹屋町下る


075-211-2770

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